ヴェネツィアガイド

このページではARIAとアサシンクリード2に登場したスポットをまとめています。

サン・マルコ周辺


サン・マルコ広場

サンマルコ広場 サンマルコ広場
周囲をサン・マルコ寺院や行政庁舎、様々なお店やカフェに囲まれたとても美しい広場です。さらにドゥカーレ宮やスキアヴォーニ海岸、メルチェリエなどとも近く、ロケーション的にもヴェネツィア観光の中心と言えます。
リアルト以南には広範囲に渡ってサン・マルコ行きの道案内が設置されているので迷っても安心。なんやかんやで何度も通ることになると思います。
ところで、この広場は一見長方形に見えるんですが、本当は台形の形をしていて、実際よりも大きく見えるんです。隣接する水路に合わせて整備していった結果、たまたまこうなったというんですから驚きですね。
サンマルコ広場 サンマルコ広場
この広場は、かつては祭礼や市民集会の場として利用され、共和国時代においても非常に重要な場所でありました。16世紀ごろに大方今の形になりました。
18世紀末にヴェネツィアを侵略したナポレオンは「世界で最も美しい広間」と称し、この広場の破壊を禁じただけでなく、積極的に改修しました。

サンマルコ近辺は本島でも特に低い場所に位置するため、満潮時はよく冠水してしまいます。
深夜のアクア・アルタ (高潮) に遭ったサン・マルコ広場は非常に幻想的で美しいので、機会があればぜひご覧下さい。
サンマルコ広場 サンマルコ広場 サンマルコ広場 サンマルコ広場

◆ ARIA : カフェ・フローリアンでまったりする「影追い」をはじめ、いろいろな回で描かれています。

◆ アサシンクリード2 : テンプル騎士団連中の尾行開始地点。

サン・マルコ小広場

サンマルコ小広場 サンマルコ小広場

サン・マルコ広場とカナル・グランデ (大運河) 間にある広場です。東にはドゥカーレ宮、西にはカンパニーレ (鐘楼) がそびえ立ち、相当な迫力を感じることができます。
サンマルコ小広場 サンマルコ小広場
カナル・グランデ側に立つ2本の石柱は、12世紀に東方から略奪品として持ち帰られたものです。ヴェネツィアに限らずどこの国でも、他の土地からかっさらって来たものを当然のように設置した昔の感覚は、現代人にはなかなか分かりづらいものですね。 ドゥカーレ宮側に立つ石柱の上には、ヴェネツィアの守護聖人である聖マルコを表した有翼の獅子像が載っています。獅子像は一見そっぽを向いているように見えますが、実はその目は遠くアドリア海、地中海を睨みつけてヴェネツィアを守っていると言われています。
そして、これら石柱の間にはかつて死刑執行台があったとされ、ヴェネツィアっ子はこの間を不吉として決して通らないそうです。灯里を攫った女幽霊はここに出没しました。

◆ ARIA : 暁の話、幽霊の話、ORIGINATION最終話のアリシアさん引退式などいろいろ。 サンマルコ小広場

ドゥカーレ宮殿

ドゥカーレ宮殿 ドゥカーレ宮殿 ドゥカーレ宮殿

共和国時代はドージェ (総督) の邸宅にして政庁舎だった巨大な建物で、今はヴェネツィア共和国博物館として観光客を楽しませてくれています。
大きさも展示物もかなりのボリュームで、じっくり見て回ろうとすれば半日はかかります。 かつて地中海貿易で栄華を極めたヴェネツィア共和国の中心であっただけあって、内部の豪華さは想像を絶するものです。
特に宮殿内で最も広い「大評議の間」は何度見ても凄いです。この部屋にかけられた世界最大の油絵、ティントレット作「天国」はなんと縦7m×横22mという大きさ!溜息しか出てきません。
他国から招かれた来賓は、この部屋で、粛々とシステマティックに進められる議会投票を見学したそうです。 ヴェネツィア共和国の富と洗練された政治システムを一気に見せられた、彼らの気持ちが少し分かる気がします。

あと、個人的にオススメしたいのが「地図の間」です。精巧な海岸線・河川の地図が壁に描かれており、ヴェネツィアが地中海貿易を重視していたことが分かります。
ドゥカーレ宮殿 ドゥカーレ宮殿 ドゥカーレ宮殿
現在のドゥカーレ宮はピンクと白を貴重にした華やかな姿を見せていますが、14〜16世紀に改修されるまでは防衛の要としての役割の強い「城塞」だったといいます。 それが海運国として高い軍事力を確立してからは、外敵に侵略される危険性が減ったため、要塞としての機能はそれほど重要ではなくなり、現在のような華やかな建物となりました。 いつ攻められるか分からなかったフィレンツェのヴェッキオ宮が、1階に窓を持たない要塞であり続けてきたことを考えると、この変わりようは興味深いですね。
ちなみに、アサシンクリード2では宮殿外回りの回廊部分に進入するとすぐ敵兵に襲われますが、実際は市民の憩いの場として活用されていたようです。
ドゥカーレ宮殿

◆ ARIA : マルコ・ポーロ宇宙空港としてAQUA1話、その他いろいろ。

◆ アサシンクリード2 : シークエンス

カンパニーレ (鐘楼)

茶色と白の側壁、薄緑の尖塔が特徴的な鐘楼です。全長は96.8mで、現在でもヴェネツィアで最も高い建造物となっています。
エレベーターで上ることができる高さ60mの展望台からの景色は圧巻です。展望台から北方面を見ると、眼下には大理石の幾何学模様で装飾されたサン・マルコ広場、その先には中世の町並みを思わせるような茶色の屋根が視界の端まで広がっています。
窓にはガラスがなく、遮るものは鉄格子だけ。ここからヴェネツィアの街を俯瞰すると自分が浮遊しているような気がしてきます。

カンパニーレは9〜10世紀に監視灯台として作られ、16世紀に鐘楼として改修されました。その後も長い年月ヴェネツィアの玄関に立ち続けていましたが、1902年7月14日朝10時ごろ突然倒壊したのです。
当時、元の姿のまま建て直すか、それとも全く新しいのを建てるか揉めたようですが、結局以前と同じ姿で1912年に再建されました。

展望台のフロアには大きな鐘がぶら下がっていて、運が良いと (悪いと?) 間近で鐘の音を聞くことができます。心臓の弱い方は注意。

ちなみに北方面の景色は画集Cielo、東方面の景色はNavigationに描かれています。

サン・マルコ寺院

828年、エジプトから運び込まれた聖マルコの遺体を収めるために建てられた寺院です。 長い間総督の礼拝堂として利用されてきたため、1807年ナポレオンの命によりヴェネツィア司教座の大聖堂となって、2世紀経った今でも「寺院」と呼ばれています。
東欧的な雰囲気を纏ったこの寺院は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルにあった大聖堂を模して建てられ、幾度もの改修を経た今でもビザンチン建築の特徴を色濃く残しています。 丸みを帯びたシェルエットと細かな装飾が、直線的なサン・マルコ広場にアクセントを与えていますね。

内部は一層バシバシとしていて、豪華すぎると言っても差し支えありません。床には様々な色の大理石が組み合わされたモザイク。ちょっと視線を上げれば金と宝石のモザイクがこれでもかという程アピールしてきます。

入り口の右側、ちょっと分かりづらい位置に2階への階段があります。細くて急な階段を上がりバルコニーに出ると、そこには暁の「馬のケツ……」で有名な4頭の馬像が現れます。
馬像この馬像は、元々は紀元前3〜4世紀にギリシャで作られたとか、ローマで作られたとか諸説あるようですが随分古いものです。 初めてヴェネツィアに来たのは13世紀。共和国が参加した第4次十字軍が、なんやかんやあってコンスタンティノープルを攻め落としちゃった際に、そこの競馬場から戦利品として持ち帰ってきたのです。 1797年、ヴェネツィアを侵略したナポレオンによってパリに持ち帰られます。しかし、1815年、オーストリアにヴェネツィアが編入された後、サンマルコ寺院に返されたといいます。
ちなみに現在バルコニーに置いてあるのはレプリカで、本物は寺院2階に飾られています。
エツィオがヴェネツィアに訪れる1400年には馬像は寺院にあったと思われますが、残念ながらアサシンクリード2では描かれていません。アニムス2.0の故障かも知れませんね。

ここを見学する際は、予めタイミングを計画しておいた方がいいでしょう。
朝オープンしてしばらくすると、寺院正面から左側に折れたところまで列が伸びてきます。 おまけに係員による人数調整・服装チェックに時間がかかって、行列はなかなか進みません。季節によっては容易に冠水して見学不可になります。 服装や荷物についても厳しく、露出の多い服や大きな鞄を理由に列から弾かれる人を結構見ますので、予め注意が必要でしょう。

◆ ARIA : 花の名前など、各所。

◆ アサシンクリード2 : アサシンの墓地

カフェ・フローリアン

サンマルコ広場に位置する1720年オープンの老舗カフェで、カフェ・ラテ発祥の店と言われています。 歴史を感じる内装と調度品に囲まれ、世界で最も美しい広間を眺めながら愉しむカフェ・ラテは格別です。

◆ ARIA : 幸せの達人。

時計塔

メルチェリエとサン・マルコ広場を繋ぐ建物で、「ムーア人の鐘」と呼ばれる屋上のブロンズ像が特徴的です。 正面の大きな時計は24時間表記で、太陽や月の動きも表している手の込んだ仕掛けになっています。 1496〜1499年に建てられました。